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鬼瓦と鍾馗(しょうき)さん 京都の歴史

鬼より強い鍾馗(しょうき)さん

瓦屋根に乗っている人形のようなものです。

いわれは諸説有りますが、現在京都で唯一、鍾馗を製造している浅田製瓦工場によると、唐の時代に皇帝が病に伏している時に、夢の中に現れた鬼を鍾馗さんが退治し、病気が完治したことから祭られるようになったようです。

中国は「唐」の時代に遡り、第六代皇帝「玄宗」が 病に臥している時のお話です。

玄宗の夢の中に一匹の小さな鬼が現れ、玄宗の玉笛とを 妻「楊貴妃」の匂い袋盗もうとしました。 鬼の手が玄宗にかかろうとした時、髭面の大男が現れ鬼を引き裂いてあっという間に退治してしまったのです。

夢の中に現れた髭面の大男は「鍾馗」と名乗り、玄宗に跪いて「科挙の試験に失敗したことを恥じ、自ら命を絶ったにもかかわらず、帝に手厚く葬っていただいたことを感謝しております。今日はその恩に報いるため参りました。」と話した。

玄宗が夢から覚めると病はすっかり癒えて元気になっており、鍾馗が鬼を退治し帝の病が癒えたという話は、 あっという間に国中に広まり、髭面の鍾馗は道教の神として祭られるようになったということです。

引用:どうして鬼より強いとされているの? 浅田製瓦工場

また、京都で広まった理由ですが、ご近所との関係を大事にする京都人の性格によるもののようです。
悪い物が直進するという考え方は中国から伝わった古い風習ですが、沖縄の石敢當(いしがんとう)を経由し京都に伝わり、現在でも「鬼より強い鍾馗さん」として親しまれる姿は、歴史を感じます。

昔、京都の三条に薬屋が新しく店を構えて大きくて立派な鬼瓦を葺きました。するとお向かいの奥さんが原因不明の病に倒れてしまいます。病を治そうと原因を探ると、薬屋の立派な鬼瓦により跳ね返った悪いものが向いの家に入ってしまうからだということがわかりました。 そこで鬼より強い鍾馗さんを伏見の瓦屋に作らせ、魔除け・厄除けに据えたところ病が完治したというのです。

それ以降、京都では鬼瓦の対面に鍾馗さんを据えるようになったようです。

そんな謂れの鍾馗さんですが、どうして京都中心に広がったのかというと、向かいの家が鍾馗さんを上げると、 文句は言わず黙って同じように自分の家にも鍾馗さんを上げるという京都人の性格にもあったようです。 ただ、ご近所同士にらみ合いにならないように正面を向いていない鍾馗さんも多く、他にも微笑み返しとしての「おたふく」を対面に据える場合もあるようです。

引用:何故、京都を中心に広まったの? 浅田製瓦工場

なお、窯元の浅田製造瓦工場ではインターネットで販売されています。